My Story

自己紹介

石井 栄子 -Eiko Ishii- いしぷろ

1962年、香川県で生まれる。

共働き家庭のため、2歳にして鍵っ子に。絵本を眺めながら一人で過ごすことが多く、そのせいか、人と話すことが極端に苦手な子どもに…。その後、空気の読めない子どもとして小学校時代を過ごす。しかし、マイペース、やりたい放題の小学校時代はそれなりに楽しかった。

中学校の頃の夢は絵描きになること。印象派時代の画家たちのボヘミアンな生活に憧れを募らせた。一方で、取材記者になって世界を飛び回ることにも憧れていた。

高校は、高松市内の公立校(香川県立高松高等学校)に。部活は迷うことなく美術部に。教室に居場所がなく、休み時間はずっと美術部の部室で過ごす。
高3の秋に、わけあって一家離散。卒業までの数カ月を見ず知らずの人の家に居候して学校に通う。一見悲惨な生活だが、本人はこの異常事態を面白がっていた。人生すべてこれネタなり。

芸大を目指すも失敗。一浪後、奨学金を得て京都精華大学美術学部洋画科に入学。しかし、高倍率の入試に合格するための膨大なデッサンと色彩構成の修業のせいで、自由な絵を描くことができなくなっている自分に気づき、絶望する。オーマイガッ!
絵はほとんど書かず、ミニコミ誌を発行したり、他大学の劇団に入って脚本を書いたりして過ごす。
「自由自治」を建学の精神とする大学は、自分と似た(というか自分以上に)変人が多く、とても素晴らしかったが、ほとんど友達もできないまま終わる(もったいない!)

20歳までの人生、後悔ばかりであった。

大学卒業後、マスコミを志望するも、高倍率に気おされ、内定をもらった会社ならどこでもいい!とばかり、大阪のアパレル商社に入社。しかし、マスコミへの憧れが捨てきれず、1年ほど勤めた後、退職。編集プロダクションやデザイン事務所を転々とする。攻撃的な性格のためどこに行っても長続きしなかった。転職のたびに給料は減り、どん底の生活を味わう。

25歳の頃、『時代が見える企画書』などの著書で知られる高橋憲行氏の事務所に雇われる。面接では、「私の名前を知らないで応募してきたのはキミが初めてだよ」と高橋氏から感心(?)された。幸か不幸か、それが印象に残っての採用となったらしい。
時代はバブル。大阪を拠点としていた高橋氏の東京進出とともに、東京転勤。生まれて初めての大都会暮らしに舞い上がりつつも、高橋氏のアシスタントとして働き、氏の背中から多くを学んだ。

2年ほど勤めた後、ひょんなことから、内田洋行の知的生産性研究所というところに雇われることになる。ここでは、色々な仕事を経験し、上司や同僚たちから育てていただいた。おかげで、ようやく“人間”になれた。

29歳で結婚、31歳で出産。一度退職するが、縁あって翻訳・編集プロダクションに再就職。しかし、育児と仕事の両立のあまりの過酷さに1年足らずで退職。

その後1カ月ほど、フランスに語学留学&逃避行。
帰国後、売り込みを経てフリーライターとなる。

その後、3児の母となり、子どもたちやママ友たちに“人”として育てていただいた。

現在、フリーライター歴25年。
2000人以上の人を取材させていただくうち、いつのまにか対人恐怖症も解消。むしろ、人と話すの大好き人間に。日々、新しい人に会えるライターという仕事は天職と感じている。