ダンスの先生が劇団を立ち上げて旗揚げ公演をするというので見に行った。
せっかくなので、以前、シナリオ・センターに通っていたときの同期、Tさんもさそって。一時期シナリオライターを目指していたのだから、きっと芝居には興味があると思い。。

私がシナリオ・センターに通っていたのはもう10年くらい前になる(そんなに経っていたのかとびっくり!)。あの頃も今と同じライターをしていたけれど、頼まれ仕事ばかりしていたのでは先細りになるばかりだと思って、クリエイティブな世界に飛び込んでみようと思ったのだ。

シナリオ・センターでは毎週1本短いシナリオを書く宿題が出て、書けなくて苦しんだ。授業は基本、書いてきたシナリオをみんなの前で音読し、それについて合評会をするというスタイルだから、書いていかないと話にならない。書けないときは休む人も多かった。しかし、Tは「授業料がもったいないから」と毎回必ず宿題を仕上げてきた。しかも、適当に書きなぐったような作品ではなく、それなりのレベルのものを書いてきた。

「笑い」とか「悲しみ」とか、そんなテーマでシナリオを書き、10本目が最後で、テーマは「時代劇」。絶対無理。Tがいなければ、あきらめただろう。ほぼ同年齢ということもあり、Tがやるからには私もやらねばと、その思いだけで毎回宿題を提出し、最後までやり遂げた。

シナリオ・センターに通い始めのころは、一発当ててテレビドラマの世界に転身できるかも、と本気で考えていた。しかし、毎月毎月新しい人が入ってきて、その中に一人二人は自分より圧倒的に上手な人がいて、それでもその中からデビューする人を見たことがない。何百人のうち1人くらいはデビューする人がいるが、その人が2本目の仕事を得られるという保証はどこにもない。そんな世界で自分が見いだされる可能性はゼロだなと思った。それによく考えると、私は日本のドラマが全く好きではなかったのだ。好きではないものを書いてどうやって人の心をつかむのか。

そんなわけで、シナリオ・センターを終えると(3か月通ったのか、半年通ったのかもう全く覚えていない)、憑き物が取れたようにシナリオのことは忘れ、元のしがないライターにもどっていた。

T以外にも、同期の人たちとは仲良くなり、シナリオ・センター修了後も何度か飲み会をしたり、メンバーの一人が脚本を書いて芝居の公演をするというときにはみんなで観に行った。が、そのうちそういう集まりも途絶えてしまった。

新しい趣味でヒップホップダンスを始めて、2年目の夏に発表会があるとFBにでも書いたのだろうか、Tから観に行くと連絡があった。こんな素人のダンスをわざわざ見に来てくれるとは、なんで?と謎だったがありがたかった。

今回Tに会ったのは、あのダンス発表会以来だった。

開演前に、パンダ珈琲店なるお店で(Tがパンダ好きだったことを思い出してこの店に決めた)ランチを食べ、積もる話に花を咲かせた。

Tはもともとは行政書士だったが、その後、資格を取って日本語教師となった。が、まもなくコロナ禍で日本に来る外国人が皆無となり仕事がなくなった。でも、日本語教師の仕事から縁がつながり、今はBL本の翻訳の仕事(!)をしているという。長く会わないうちにいろいろなことがあるものだ。他の同期たちは今頃何をしているだろう…。

さて、肝心の杮落し公演だが、うむ、という感じであった…。